後味悪い感じが続いたけど、勝手に「場所が悪いんじゃね?」なんて思いながら、今度は千葉方面で探してみることに。
以降、柏での活動に縁がなくなっていく。(今思えば、本当に場所が悪かった様子)
募集文面の定型句で「はじめはコピーでゆくゆくはオリジナルも…」的な場所あったので、当時の生活スタイルなら行けるかと考え、飛び込んでみることに。
ゆくゆくって言っていた割には初回からオリジナル3曲を渡される暴挙があって、ひとまず2回ほどスタジオ入って、バンマスから加入OKともらったところ。
人当たりもよさそうだし、しばらくはここに腰据えるか…なんて思ったのもつかの間、バンマスから「再来週ライブだから!」
なかなかの振り回しようである。これを皮切りに約10年にわたりここでの活動をしていくこととなる。
その半月後のステージはcoccoのコピーで実施したけど、このステージは私史上、最悪の終わり方(最後の曲が激暗曲 多分水鏡)で、今も私のそれを更新できていない。(しなくてもいい)
ひとまず弾丸のステージを終えた翌週、東日本大震災が発生。当時のDrが福島の復興事業に行くこととなるので、約3年ほど足踏みをする。
その間、メンバーチェンジは頻繁であった。特にgtはメンバーの固定ができなかった記憶もある。drも入れ替わったしね。
結成当初はVo,Gt,Syn,Dr,Baの5ピースで立ち消えまでの10年くらいはその構成は変わらなかったけど、私が加入してからVoは3人、Gtは4人、Drは2人変わっている。
特に初期のVoが歌い方もそうだけど性格も強烈な存在だった。(バンドに持ち込んではいけないもの 参照)
基本的にメロディーメーカーはバンマス(Key)でかなり作りこんでくる人だったので、構成を覚えることと、全体的なちょっとの手直しくらいでどんどん曲がたまっていくところだった。
意見がぶつかったときは喧々諤々のセッションとはなるものの、結局はその場で意見出ず次週持越し。で、翌週にはみんな忘れているって感じで、進んでは戻りを積み重ねるような活動ができていたと思う。
ステージはだいたい半年に1回くらい。忘れたころになんとなくどこかのブッキングに飛び込む感じでの活動だったね。
千葉市で活動している割に、千葉市でのステージ経験がほぼなく(多分西千葉と稲毛の2回)だいぶいろんなところでやったはず。
特に茂原七夕まつりの野外ステージは一番大きなステージだったかと思っている。
喧嘩別れしたわけではないので、今でも安定期のメンバとはどことなく動向をお互いにわかっている状態にある。
⇒10年の割には薄くね?って言わないでくださいな。
●活動サマリ
活動期間:10年
ステージ:12本
レコーディング:したけど途中で挫折 ここでドラムレコーディングの楽しさに目覚め
る。マイク立てかなり楽しい。ドラムたたけないけど。